石川インドネシア友好協会

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小松市 牧野亜子

バリでの生活

去年の今頃は…と、ふと思う。2007年4月22日に渡バリして1か月余り、ホームステイを終え一人暮らしが始まって、ようやく慣れてきた頃だったかな…。

今回の滞在の目的は「バリの中学校・高校の日本語の授業にアシスタントティーチャーとして参加する=日本語の先生になるための勉強」と、インドネシア語のレッスンだった。私が授業に参加していた学校は、キリスト教系のセント・ヨセフ中学校・高校。生徒たちは明るく人懐っこくて、シャツ出しや腰パンを注意される姿は、日本となんらかわりなくて微笑ましかった。日本や日本語に興味のある子も多く、それが「東方神起」や「宇多田ヒカル」だったり、「旅行ガイドになること」だったり…。理由は様々でも彼女たちにとって日本は「ちょっとのぞいてみたい国」のようだった。

1か月半の短い期間だったけど、「ファーストラブを訳して〜」と言われ困ったり、ちょっとやんちゃな子に張り付いて日本語を教えていたら「あ〜わかった〜!!」みたいな声が聞けたり。すごく嬉しかったのは、帰り際に「アコセンセイ、サヨナラ〜」と毎日たくさんの生徒が挨拶してくれたこと。ぽっとやってきた日本人の私をちゃんと受け入れてくれて、笑顔を振りまいてくれる生徒たち…。ほんとに楽しい時間で、貴重な経験だった。

バリでの私のあしは、基本的に歩くかベモという入口が開けっ放しの乗合バス。学校に行く時も自分のレッスンに行く時もこのどちらか。ベモは外国人が乗るにはちょっと怖い乗り物らしく、ガイドブックにも書いてあるし、ホームステイ先のお父さんがリハーサルをしてくれたくらい。最初の頃は、びびって緊張しながら乗っていたから、ちょっと高く料金を払わされたり、運転手にナンパされて半拉致!?トラブルもあった。でも、慣れてきたら強気の運転手にも負けなくなったし、便利に乗り回すこともできて“庶民のあし”って言われているのがよ〜くわかった。

食事風景

バリでの食生活は、ホームステイ期間は毎朝晩シンプルなバリ料理で、ほぼ完食。一人暮らしになってからは、ミーインスタン(インスタントラーメンや焼そば)にずいぶんお世話になったし、ワルンもよく利用した。食事はいつも楽しく、食べることに感謝しながら食べていた。日本じゃ身の周りに必ず食べるものがあって、「ながら食べ」をしていたり、水道の水に冷蔵庫の「勝手に氷」でおいしい水が飲めるのを当たり前に思っていたり …。 ずいぶんいいかげんな「食」だったなと感じることしきり。ワルンで買うナシゴレン5000ルピアも、家に持ち帰って食べる時には「いただきます!」と心から言って食べる。私のお気に入りは、バナナの葉に包んでくれるパダン料理のブンクス(お持ち帰り)で、これはごはんに数種のおかずをチョイスしてクア(汁というか、たれというか…)をかけてもらったもの。いくつか試したのち、ナシ(ごはん)にサユール(付け合わせ緑野菜)、プルクデル(パン粉なしコロッケ)テンペゴレンが私のベストメニュー。だいたい7000~9000ルピアぐらいのごちそうで、これにビルビンタン1缶飲んだら、もう大満足☆

バリでの日々は、「食」に関してだけじゃなく、すごく刺激を受けた。生活感あふれるデンパサールの街と人、クタビーチの毎日変わらない美しい夕日、おおらかで飾らない明るい人達…。きりがないバリの魅力を充分に感じたし、何より本当に本当に楽しかった。

あっという間だった半年の滞在。『旅行』では感じられなかったバリの日常を、ほんの少しだけ感じることができて、ますます『バリ』が好きになった。またいつの日か、あの太陽とゆる〜い空気の中で、生活してみたいな〜。今度は、『日本語の先生』として…。

クタビーチの空


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